みえこうぎょうがっこうがいし
@三重工業學校の校歌
A三重工業學校の校章とその意味
B西松二郎先生の人間ヘ育
C正史と外史
D芳菲山人西松二郎文献案内
E芳菲山人と達磨
F芳菲山人と正岡子規
G寄宿舎嚶鳴寮
H化學科のある學校
I鳥居忱の作曲活動
@三重工業學校の校歌 三重工業學校の校歌の歌詞は優れて論理的意味を有してゐるものであり、著名歌人の佐佐木信綱の作詞に、著名作詞家の鳥居忱が作曲するといふ異例のものである。その異例な事情を解き明かした。
この校歌の歌詞は大東亞戰爭の敗戰後、大きく改訂された。現在の松阪工業高校の歌詞が意味するものと、そこから伺ふことのできる作詞者の思ひをも解き明かしてみた。
A三重工業學校の校章とその意味 三重工業學校の校章は「三重櫻」と愛稱されて、現在も松阪工業高校で用ゐられてゐる。この校章は松井六山が設計したもので、優れて論理的な意味を有してゐる。
B西松二郎先生の人間ヘ育 三重工業學校の初代校長西松二郎先生は、「自分は活きた機械を作るのではない」と言はれ、人間ヘ育といふことを主唱された。これは西先生の無二の親友、杉浦重剛のヘ育思想と合致するもので、三重工業のヘ育方針の根本である。ここでは、「人間ヘ育」とは何か、類似のヘ育思想との差異を解明してみた。
C正史と外史 三重工業學校の成立とその後の變遷を纏まつた形で記録したものとして、八十年史があり、それを増補した、百年史がある。これは學校と同窓會による正式記録であるが、三重工業學校がどうして應用化學を專攻學科としたのか、三重工業特有のヘ育方針であつた「人間ヘ育」と言はれるものの内容と由來など、最大の疑問には應へられてはゐない。本書では正史の性質と限界を指摘して、それらを補ふ外史の重要性を示した。
D芳菲山人西松二郎文献案内 三重工業學校の初代校長西松二郎先生は、自分自身については殆ど語つてはゐないので、生家のことや、養家のこと、兄弟親族のことなどは不明である。ただ、東京へ出ての學寮生活では、非常に目立つた存在であつたらしく、貢進生達の回想録などには、いづれも好意的に語られてゐる。また、新聞紙『日本』の關係者からも、好意的に囘想されてゐる。
ここでは筆者が實際に確認した文献資料を紹介する。いづれにも、その出所を示したので、改めて情報元に接して、理解、判斷、評價をしていただけます。また、西松二郎についての資料収集に限らず、三重工業學校の歴史資料を求めての體驗や筆者自身の同窓會機關紙誌の保存状況も紹介する。
E芳菲山人と達磨 三重工業學校の初代校長西松二郎先生は、その專門が地質學や礦物學といふガチガチの硬い分野の學者でありながら、諧謔百出の狂歌師、芝居通としてもよく知られるといふ軟派文藝にも通じた文人でもあり、更に、達磨の蒐集家でみづから坐禪に打ち込むといふ宗ヘ人でもあつた。趣味の達磨蒐集でも、徹底的に打ち込み、當人の顔つき、考へ方まで達磨大師そつくりで、坐禪のやり方も並み外れた眞劍さであつたといふ。しかも、達磨に關するものは、あらゆる分野に及びながら、蒐集に溺れたり、淫することがなく、蒐集品も適宜、他人に呉れてやつたやうである。
ここでは、西松二郎の達磨蒐集のきつかけ、蒐集の仕方、達磨に因んだ狂歌、坐禪、そして蒐集品の行方などについて、考へてみた。
F芳菲山人と正岡子規 三重工業學校創設當時は、諧謔家として廣く知られてゐた初代校長、芳菲山人西松二郎も、今では母校關係者以外には、殆ど世に知られてゐない。但し、正岡子規の随筆に「芳菲山人」の名が何度も出てくるし、随筆『病牀六尺』の最後は芳菲山人からの見舞状の紹介なので、その關係から調べる人もゐるやうである。ここでは、西松二郎と正岡子規との關係を調べてみた。
G寄宿舎嚶鳴寮 三重工業學校には自宅から通學できない學生を對象にした寄宿舎があり、嚶鳴寮と名付けられてゐた。『松阪工業高校百年史』(平成十四年、三重縣立松阪工業高等學校、財團法人三重同工會發行)には、三重工業學校に寄宿舎設置する件の縣議會での議論を紹介(第32、33頁)し、最初期の寮生活の樣子として、大正四年卒業生の阿部泰治郎と同時期の石井嘉久(筆名か)の回想を紹介してゐる。(第50頁から、「嚶鳴寮の生活」)また、『赤壁七十年』(昭和四十七年、三重縣立松阪工業高等學校發行)には、昭和二年、三年卒業生による囘想「嚶鳴寮の思い出」(第40頁から)が掲載されてゐる。筆者(東川)自身は自宅通學だつたので嚶鳴寮での生活は知らないが、母校を卒業してから五年間、大學の學生寮で生活したので、嚶鳴寮の回顧録を讀むと、大凡の雰圍氣は推測できる。
殘念なことに、嚶鳴寮といふ名の由來についての記録や傳承は無いと百年史に書かれてゐるので、自分なりに、「嚶鳴」の意味を考へてみた。
HM化學科のある學校 三重工業學校が設立された時、その專攻學科は、三重縣のみで他縣にはまつたく見られない「應用化學」であつた。そもそも「化學」とは何かといふことについて、「化學の應用で色々な物が造れるのだ。石鹸などもその一つだ」と言ふことで、往時の政治家はもとより、ヘ育者などでも、庶民に判らせるやうに説明出來る人は、殆どゐなかつたといふ。
I鳥居忱の作曲活動 既刊の「三重工業學校外史」の『三重工業學校の校歌』(M3201)では、校歌は當時の著名歌人、佐佐木信綱の作詞に、著名作詞家、鳥居忱が作曲したもので、鳥居忱が他人の歌詞に作曲をするといふことが極めて特殊なことであるとして、その思ひ當る理由を解説した。ここでは、その特殊性に加へて、鳥居忱の作曲活動に就いての資料について解説する。
シリーズ發刊にあたり
明治三十五年に三重縣松阪に創設された三重工業學校は、我が國最初の應用化學を專門にヘへる工業學校で、その後身は化學以外にも學科を増やして、現在も松阪工業高校として續いてゐる。自分は昭和三十七年から四十年にかけて、ここで化學を學ぶことができ、卒業後は大學の理科でも化學を學ぶことができた。その體驗から、自分は松阪で、極めて手間暇の掛かる、贅澤ではあるが正統な科學ヘ育を受けることが出來たと感謝してゐる。母校の八十年史が編纂された時、在學時の校長であられた森隆巳先生から感想を求められ、その時に、正史としての性格からの限界を超えて、幾つかの問題點があると指摘したことがある。三重工業學校から松阪工業高校の歴史を考へる場合、大きな課題としては、「なぜ明治三十五年設立なのか」、「なぜ松阪になのか」、「なぜ應用化學なのか」、「人間ヘ育とは」などが擧げられるが、八十年史では、明治三十五年に松阪に創設された事由については、解明されてゐるが、後の課題は解明されてゐない。自分はこれらの課題についての疑問を保ちながら、ポツポツと纏めた結果を同窓會の東京支部で紹介し、文章にして配布もしてきた。このところ支部の會合にも疎遠になり、集めた資料や纏めた文章も散逸しかねないことを恐れ、簡易な形ででも廣く世に問ふことにした。發表順序は不同で、資料の精粗も區々であるが、御容赦いただければ幸ひである。
令和二年十月
松阪工業高校 化學第六十二囘卒業生 東川吉嗣
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A三重工業學校の校章とその意味
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B西松二郎先生の人間ヘ育
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C正史と外史
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D芳菲山人西松二郎文献案内
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E芳菲山人と達磨
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