尻取り唄は幕末から明治にかけて大流行し、色々な内容の尻取り唄が知られてゐる。中でも「開化尻取り文句」や「役者尻取り」などは、特定の分野に關係のある言葉を連ねて尻取りを行ふもので、登場する言葉で浮かび上がる世界は、文明開化の新しい世界や、歌舞伎俳優の世界であることは明らかである。
例へば、「開化尻取り文句」では、「義務、線路、鐵道、郵便、ブランデン(ブランデー)、電信、電氣燈、貯蓄、機械、商法、蒸氣、石版、牛肉、牛の乳、冩眞、煉瓦石、警視聽、新聞紙」などの言葉が連なつてゐて、往時の人々がこれらの言葉を耳にしたときの感覺、それは「文明開化の空氣に浸された感覺」とでも言へるものを容易に想像することができる。
また、「流行やくしや志里とり」では、「お江戸で市村人氣とり、氣取のよいのが田の太夫」といふ風に、人氣役者に關聯した言葉ばかりで尻取りを行つてゐるので、往時の歌舞伎好きが、どの役者をどのやうに見てゐたかを伺ふことが出來るし、往時の歌舞伎好きは、これらの言葉の連續を耳にすると、「いかにも、さうだ、さうだ」と納得のいく氣持が想像できる。
ところが、「流行志里とり子供もんく」では「でんでん太鼓」や「坊んやはいい子だ寝んねしな」など、現代の常識から考へても、明らかに子供世界の言葉も含まれてはゐるが、中には「品川女郎衆は十匁」とか「酒と肴で六百出しや氣儘」は、とても子供の世界の言葉とは思へないものである。併し、それは幕末から明治の時代の生活が現代の我らの常識と大きく異なり、それに伴ひ、生活用具や、娯樂も異なるため言葉の意味する實物が身近に無いことによる。また、「筒袖の衣裳」などは、洋服の普及で、當り前になり、「筒袖」とか「筒つぽう」といふ言葉が遣はれなくなつたことで、かへつて我々には縁遠い言葉となつてゐることもある。また、日常生活の變化で閻魔堂の縁日も一般には知らなくなり、琴や三味線などの和樂器も庶民には縁遠くなり、針箱や煙草盆、比翼紋の枕も時代劇の中でしか見なくなつた。そして、尻取り文句の中で一番多いと見られる歌舞伎關聯の言葉は、現代の娯樂の多様化で、歌舞伎や寄席藝のほとんどが傳統演藝といふ、「お寶」や「古典藝能」といふ仕譯分野へ押しやられてしまつたことで、かつての庶民の常識は、今や、趣味人の高等ヘ養とか、研究對象、あるいは高級趣味の對象になつてゐる。
「流行志里とり子供もんく」といふ表題の尻取り唄の歌詞繪は、關聯の繪を藍や朱の單色で印刷したものと、人氣歌舞伎役者を大きく描いた多色刷りのものがあるが、多分に、單色のものは、子達のお小遣でも買ふことのできるもので、多色刷りのものは大人向けのものかもしれない。「流行志里とり子供もんく」といふ表題で、本書で扱ふ文句と同じ内容で、繪の俳優が異なる物が何點かあり、異なる内容で表題が同じものもある。このことから推測すると、ここに擧げた内容の尻取り文句は、廣く人氣を呼び、江戸東京を中心に廣く知られたことが推測できる。『武江年表』には、慶應三年五月の流行物として、「○文字?の童謡行はる○下賤の婦女簪二本をつかねて頭へさすものあり、めをとざしといふ○此頃西洋の傘を用ふる人多し、和俗蝙蝠傘といふ」(齋藤月岑『武江年表』大正元年、國書刊行會。第三百三十二頁)などとあり、流行の一端が伺える。また、江戸東京から遠く離れた地域にまで、その尻取り文句の斷片が傳はつてゐることから、尻取り浮世繪や尻取り唄の小冊子も江戸土産、東京土産として遠くまで運ばれ、あちこちでこの尻取り唄の斷片が唄ひ繼がれてきたのであらう。
本書では、藍單色の六枚一組の「流行志里とり子供もんく」の尻取り文句の意味を解いてみたものである。併はせて、言葉遊びに關聯して幾つかの事柄を考へてみた。
正誤と追加
○「祭り萬燈山車屋臺」第25ページの「屋根には「三王」とある」は誤植があり、正しくは、「屋根には「山王」とある」です。
○「附記 本書で用ゐた漢字について」第110ページの最終行の「初擂本(ショズリボン)」は誤植があり、正しくは、「初摺本(ショズリボン)」です。
○「下谷上野は山かつら」第22ページの説明内容を増補して、次のやうに改めます。
繪にある兩大師は、寛永寺を創設した天海僧正こと慈眼大師と天海僧正が尊敬してゐた比叡山の慈惠大師を祀つた寺。山中共古の『砂拂』の「尻取文句考」によると、江戸では山といへば上野の山を意味したが、上野の山と桂とは無關係。「かづら」は、髪飾りや、變装用の被り物、着け髪などをいふ。山鬘(やまかづら)とは、草花や木の葉などで造る髪飾り。元來は鬘草で造り、神樂では常緑の蔓草で造つた「眞榮の鬘(まさきのかづら)」を被る。ここでは「山かづら」を言ふのに「上野の山桂」と語呂を合はせたものといふ。(第六〇一乃至六〇三頁)
小唄の中の「山かづら」について、折口信夫著『日本藝能史六講』(昭和十九年、三ヘ書院。第一二六頁)には、「雪」を題にした三味線唄の中にある「すてたうき世の山かづら」の説明に、「すてたうき世の山かづらと言ふから見れば、遁世したことは訣る」として、連歌俳諧に遣はれるやうになつて色々な意味づけがされたが、「世を捨てた身は山かづらを踏む──或は眺める──朝夕を暮して居る。さう言ふ身になつて昔の事を思うてゐるのだ。煩惱を拂ひ捨てゝ淨らかな生活に入つてゐる」と説明してゐる。
さすれば、上野の山には寛永寺が在り、兩大師を祀る清淨な地域であることを何らかの小唄の一部「やまかづら」といふ一言で示したことが判る。
なほ、下谷と上野は一組になつた地名で、下谷は上野からみて「した」で上野は下谷からみて「うへ」である。現代地名では國語の論理性を無視する風潮があり、上野郵便局は下谷にあり、鐵道の上野驛は山の下にある。蛇足ながら、地名の「かみ」と「しも」は、一つの地域の中の上下を示し、三重縣名張市には、川の上流域から下流域
へ、「上長瀬、下長瀬、上比奈知、下比奈知」と地名が竝んでゐる。
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